滋賀をむすぶ

クリエイターが巡った滋賀をむすぶ旅。
これからの滋賀の魅力がたくさんあります。

相馬夕輝×服部滋樹 湖国のものづくりを巡る旅(第7回有限会社大與)

  日本の各都道府県のロングライフデザインを集めた「D&DEPARTMENT」代表取締役社長の相馬夕輝さんと、滋賀県ブランディングディレクターの服部滋樹さんが、滋賀の“良いデザイン“を探しに、地域に根づいたものづくりの現場を訪ねました。ナガオカケンメイ(「D&DEPARTMENT」代表)×服部滋樹(全4回)に続く、
相馬夕輝×服部滋樹も全3回の最終レポートをお届けします。 tumblr_nrkrfqlGK71u31bh4o1_1280[1]

相馬夕輝プロフィール

1980年、滋賀県出身。D&DEPARTMENT PROJECT代表取締役社長。 2003年同社に入社。「ロングライフデザイン」をテーマに地域らしさを見直し、これからのデザインのあり方を探るベースとして47都道府県に展開するショップ「D&DEPARTMENT」の大阪店、東京店の店長を経て、2009年から代表取締役社長に就任。そのほか、デザインの視点で日本を紹介するガイドブック「d design travel」の発行など、幅広いデザイン活動を行う。

人と自然。妙なるバランスを秘めた和ろうそく

陽が暮れて、部屋に灯りをともす。家人が集い、憩いの夜が始まる。意識することもない、こうした日常の何気ないワンシーン。いまや灯りといえば、スイッチひとつでぱちり、と灯る電気の照明が主流。しかし明治時代頃までは、ろうそくが灯りの主役だった。歴史ある和ろうそくの製法をいまに受け継ぐ、全国でも屈指の職人が滋賀県高島市にいる。私たちが最後に向かったのは近江手造り和ろうそくの大與。 「どうぞ、奥へ」と和やかに笑顔で迎えてくれたのは、四代目の大西巧さん。大西さんが1914年から続く家業を継いだのは10年前のこと。三代目でお父さんの大西明弘さん、御年90歳になるおばあちゃん、弟さんらとともに、毎日実直にろうそく作りに勤む。 和ろうそくを作る工程はざっと以下の通り。 1、和紙とい草できた芯を串に差す(芯差し) 2、芯が串から抜けないように熱めのろうで固定(芯締め) 3、その串を蝋につけて下生地を作る(ふりかけ) 4、その上に蝋をつけて、太さを揃える(下掛け) 5、もう一度仕上げの蝋をつける(上掛け) 6、機械にかけて芯の先端を出す(芯切り) 7.ろうそく本体の下の部分を切り揃える(尻引き) 私たちが通してもらった工房では、下掛けとよばれる作業の途中。大西さんは右手に串を15本ほど持ち、台に串をこすりつけて回転させながら、左手で温かい蝋をすくって、撫でるように蝋をつけていた。シャラシャラシャラと、小気味良い音。串の表、裏。あれよあれよと言う間に、手際よく蝋を掛けていく。 tumblr_nrkrfqlGK71u31bh4o2_1280[1] 「夏はなかなか蝋が乾かないし、冬は蝋が急冷するからろうそくが割れてしまうこともあるんです」と、大西さん。毎日異なる温度と湿度。一見単調に見える動きだが、こうした自然条件の中に存在する絶妙のバランスを読み取る作業だ。このコツを掴むのに、大西さんは10年かかったという。つまり10回の季節の移り変わりを経験するということ。 「いま作っているろうそくは一番細い0.5号。何度も蝋をつけられないから、一番難しいんですわ」と大西さんは言う。 続いて取りかかったのは、上掛け蝋の準備。先ほど下掛けに使った茶色っぽい蝋の鍋を傍らに預けて、緑色の蝋が入った鍋を小さなコンロにかけて蝋を溶かし始めた。固まった蝋が入った受け鉢に、温めた液状の蝋を少しずつ加えて撹拌しながら練り込んでいく。 tumblr_nrkrfqlGK71u31bh4o5_1280[1] 手にしているのは、小さな子どもの背丈ほどもある長い棒。棒の上の方を支え持つのは弟さん。兄弟だけにあうんの呼吸だ。「これは、力が要るんえ」と、隣で見ていた大西さんのおばあちゃんが教えてくれた。 tumblr_nrkrfqlGK71u31bh4o3_1280[1] 少し練ると濃い緑色をしていた蝋が翡翠色に変わってきた。さらに練るとますます色は白くなり、液体と個体に分離していた蝋がひとつになっていく。少しだけ指につけてみると、ふわふわ。触り心地はまさにクリームだ。 tumblr_nrkrfqlGK71u31bh4o4_1280[1] 「同じ櫨(はぜ)の蝋でも天日に晒すと、蝋が漂白されるんです。下掛け用の蝋は少し粘り気があるけれど、上掛け用の蝋はさらっとしています」。 上掛け(ろうそくの外側)と下掛け(ろうそくの内側)で蝋を使い分けるのには、理由がある。「蝋を漂白すると融点が上がるんです。和ろうそくは、外側の方が融点が高く内側は融点が低い。だから、火を点すと内側から先に溶ける。和ろうそくが、洋ロウソクと違って、蝋がたれにくい理由のひとつです」。 洋ロウソクは蝋の原料が石油由来のパラフィン、芯は綿の糸でできている。 一方、和ろうそくの芯は和紙にいぐさを巻いたもの。大與の手掛け和ろうそくは、太さが0.5号から100号まであり、ろうそくの太さに応じて、 もちろん芯の太さも変わる。 tumblr_nrkrfqlGK71u31bh4o6_1280[1] 「和ろうそくは植物性の蝋なので、これくらい芯が太くないとうまく燃えません。蝋を吸いすぎてもだめし、吸わなさすぎてもだめなんですよ」。 蝋の浸透力、芯の吸収力とのバランスの中でできる和ろうそく。その原料の櫨をとりまく環境は年々変化しているという。 tumblr_nrkrfqlGK71u31bh4o10_1280[1] 櫨の実を収穫するのは手しごと。高いはしごに登り、ていねいに手で実をとる。危険で手間のかかる作業だ。櫨の実をちぎる「ちぎりこさん」と呼ばれる人たちは高齢化している。さらに櫨の産地である島原の千本木地区の櫨の木は、平成三年におきた雲仙普賢岳の火砕流で壊滅的な状態になった。原料はますます稀少になり、原価が上がってしまった。原価が上がれば当然、ろうそく一本の値段も上がってしまう。 「僕らはたとえ原料が高くなっても櫨の蝋100%を使用します。世に和ろうそくとして売られているものは、石油由来の合成蝋を使用しているものもあります。でも、僕らが他のものを混ぜて使うということはない。コストが高くなったとしても、良いものをちゃんと伝えたいんです」と大西さん。 でも、と溜息まじりに言葉を継いだ。「お仏壇がある家も減っているし、お仏壇があったとしても洋ロウソクを使うご家庭が増える中で、櫨の良さを伝えるだけでは、ダメだと思ったんです」。 もっと暮らしの中に和ろうそくを。しかし櫨のろうそくでは高価になってしまう。そこで白羽の矢が当たったのが、米ぬか蝋を使ったろうそくだ。 tumblr_nrkrfqlGK71u31bh4o8_1280[1] 「洋ろうそく対和ろうそくではなく、それぞれのろうそくの原料が何でできているのかを示せば、消費者はその背景にあるストーリーに思いを馳せることができる。そのきっかけづくりを」と願いを込め、これまで赤か白に着色して販売してきた米ぬかろうそくを琥珀色のままにし、サイズも形も変えて「お米のろうそく」とネーミングした。この商品を2011年のグッドデザイン賞に応募したところ、結果はお見事グッドデザイン中小企業長官賞を受賞した。 「2011年のグッドデザイン賞のテーマは、『適正』でした。未曾有の震災を受けて、デザインにおいて何が適正なのかを検証しようということだったんです。このお米のろうそくには、米ぬか蝋100%を使用しています。人がお米を植えれば、一年に一度、その実りを享受できます。そこで、お米のろうそくなら人と自然の適正な在り方や、資源の使い方を伝えることができるんじゃないかと思ったんです」。 受賞後には新聞にも掲載され、問い合わせや注文の電話が殺到した。しかしろうそくが売れて喜んでいるだけではない。「現代の暮らしって、ある意味とても危機的な状況だと思うんですよ」。大西さんが見ている現実はどうやら、とてもシビアだ。危機的な状況とは、どういうことだろう?

暮らしの中から火が消えた?

現代の生活は、オール電化なども手伝って、家の中に火すらない状況ですよね。そこから正さないといけないな、と思っているんです」。 大西さんは、かつての日本人は火を表すのに、丙(ひのえ)と丁(ひのと)というふたつの言葉を用いていた、と教えてくれた。丙(ひのえ)は人間がなかなか手に追えないありのままの炎。一方で、丁(ひのと)は照明や煮炊きのために手元においておけるような優しい火。 「灯火って、火へんに丁(ひのと)と書きますよね。人間のアイデンティティって、火を扱えることなんじゃないかと思ったんです。もしかしたら、丁(ひのと)という音から人という言葉につながっているのではないか、と思うんです。でも、グローバリゼーションが進み、いつの間にか丙と丁という言葉を「fire(火)」という言葉でひとつに括ってしまったんですよね」。 動物はただただ火を恐れる。それを制御できたのは人間だけだ。何十万年ものはるか昔、狩猟採集していた私たちの祖先が初めて焚火や松明を手にして以来、大西さんが言うように人類は火を扱うことによって進化してきた。そこには常に火に対する畏怖と神秘の想いがあったはず。 ところが、特に戦後は私たちの暮らしは加速度的に変化した。かまどはガスになり、ろうそくの灯火は電気の照明になった。こうして便利さを追究していく中で、暮らしのなかから火が姿を消してしまった。 「人と火をもう一度繋ぎたい」。ろうそくの作り手として、ありったけのメッセージを込めて2014年に新ブランド「hitohito(ひとひと)」を発表した。「hitohito」ブランドの第一弾として米ぬか蝋のろうそくをティーカップの中に忍ばせるティーライトキャンドルを発表。ろうそくの形、サイズは世界共通のデザインにした。 国や世代を越えて、人の暮らしが続く限り、灯火があり続けてほしい。そんな切なる祈りのような思いすら感じられる。 tumblr_nrlnrfpd3j1u31bh4o1_1280[1] (c)mitsuyuki nakajima 相馬さんは言う。「暮らしの中で、変わらなくていいものもあれば、抗いようなく変わってしまうものもある。今はすごいスピードで世の中も暮らしも変化しているけれど、大西さんの発想は、単純に『昔の暮らしに戻れば良い』じゃない。昔の人が持っていた精神性はこれからの未来に向けて必要になる。それがろうそくを通して見えてくるということですよね」と、相馬さんも共感する。 「グローバリゼーションが進んで、地方も都市部も暮らしの中で自分達のわかりやすいものや扱いやすいものだけを手元に集めて暮らしが進んでしまったなと思ってるんです。たとえば管理しやすい植木だけを植えるとかね。こうやってわかりやすいもので固めると、扱いにくいものを排除してしまう。灯もそのなかのひとつだったんじゃないかなって思うんです」と大西さん。 tumblr_nrkrfqlGK71u31bh4o7_1280[1] 「暮らしが『危ないことに気をつけなくてもいい』という方向に進んでしまいましたね。でもそうすることで失うものもたくさんある。本当は逆で、危ないからこそ気をつけるということを学ぶチャンスでもあるのに」。 「和ろうそくの火だって、ちゃんと扱わないといけないんですよ。ろうそくを燃やしていくと芯が炭になって残ってしまうから、ピンセットのようなもので取り除くのです。以前あるお客さんがそれを見て『キャンプみたいですね』と仰ったんです。その響きがいいなと思って、ゲストをお招きして蝋燭の火を触りながら、キャンプのように語り合える場を持とうと思ってるんです。第一回目のゲストは服部さんに決まってるんですが、相馬さんも作り手と伝え手が一緒にできること考えませんか?」と大西さん。 tumblr_nrkrfqlGK71u31bh4o9_1280[1] それ、楽しそうですね!と相馬さんも顔がほころぶ。「是非、ろうそくの灯りが映えるような空間でやりたいですね。最近は滋賀県でも古民家の良さを 体験できる宿泊体験施設が増えてきました。高島市にある『山里暮らし工房風結い』は古民家の良さを活かしつつ、水回りなどをすごく快適にしてる。 快適な空間ながらも、わざわざ『火を扱う』という手間を体験することで、きっと新しい感覚が起きてくるでしょうね」。 先達が生み出した炎の智恵を絶やさず、未来に繋ぐ職人界のホープ。そして「ものを新しく作らないこと」をテーマにするデザイン界の新星。ろうそくの灯りとともに、尽きぬ話の続きをどうぞ。 (文章=ヘメンディンガー綾/写真=成田舞)


 

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服部滋樹 / graf代表
クリエイティブディレクター

大阪1970年生まれ、大阪府出身。graf代表、クリエイティブディレクター、デザイナー。美大で彫刻を学んだ後、インテリアショップ、デザイン会社勤務を経て、1998年にインテリアショップで出会った友人たちとgrafを立ち上げる。建築、インテリアなどに関わるデザインや、ブランディングディレクションなどを手掛け、近年では地域再生などの社会活動にもその能力を発揮している。京都造形芸術大学芸術学部情報デザイン学科教授。
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ナガオカケンメイ
デザイン活動家・D&DEPARTMENTディレクター

1965 年北海道生まれ。’90年、日本デザインセンター入社。原デザイン研究所設立に参加。2000年、東京世田谷に、ロングライフデザインをテーマとしたストア「D&DEPARTMENT」を開始。’02年より「60VISION」(ロクマルビジョン)を発案し、60年代の廃番商品をリ・ブランディングするプロジェクトを進行中。’03年度グッドデザイン賞川崎和男審査委員長特別賞を受賞。日本のデザインを正しく購入できるストアインフラをイメージした「NIPPON PROJECT」を47都道府県に展開中。’09年より旅行文化誌『d design travel』を刊行。日本初の47都道府県をテーマとしたデザインミュージアム「d47 museum」館長。’13年毎日デザイン賞受賞。武蔵野美術大学客員教授。京都造形大学教授。
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野村友里 / フードディレクター
フードクリエイティブチーム「eatrip」主宰

長年おもてなし教室を開いていた母の影響で料理の道へ。母からゆずり受けた、日本の四季折々を表す料理やしつらえ、客人をもてなす心、をベースに食を通じて様々な角度から人や場所、ものを繋げ、広げている。主な活動として、レセプションパーティなどのケータリングフードの演出や、雑誌の連載、ラジオ番組等。それらを通して食の可能性を多岐に渡って表現し、その愉しさを伝える。2011年には、「シェ・パニース」のシェフたちとともに、「生産者」「料理人」「消費者」をつなぐ参加型の食とアートのイベント“OPEN harvest”を開催。その経験を経て日本のシェフたちとともに、その土地土地の風土や文化を、食を通じて身体に取り込んでいくことをコンセプトに“nomadic kitchen”プロジェクトを始めた。2012年東京原宿にて、豊かな緑と光と風に恵まれた「restaurant eatrip」をオープン。生産者、野生、旬を尊重し、料理を通じて今後も食のもつ力、豊かさ、美味しさを伝えられたら、と活動を続ける。初の監督作品となる食のドキュメンタリー映画『eatrip』は2009年公開、現在はDVD化され販売中。著書に『eatlip gift』(マガジンハウス)がある。
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ルーカスB.B.
クリエイティブディレクター/編集人

アメリカ生まれ。カリフォルニア大学卒業後、来日。(有)ニーハイメディア・ジャパン代表取締役として、トラベル誌『PAPERSKY』やファミリー誌『mammoth』を発行しながら、ウェブサイトやイベントプロデュースなどもおこなっている。これまでに手がけた雑誌に『TOKION』『metro min.』『PLANTD』などがある。2014年にはNTTドコモのアプリメディア『japan jikkan』を創刊。また、ファミリー向け野外フェスティバル「mammoth pow-wow」や日本再発見の旅プロジェクト「PAPERSKY tour de Nippon」のイベントプロデュース等、幅広く活動している。
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相馬夕輝
D&DEPARTMENT PROJECT代表取締役社長

1980年、滋賀県出身。D&DEPARTMENT PROJECT代表取締役社長。2003年同社に入社。「ロングライフデザイン」をテーマに地域らしさを見直し、これからのデザインのあり方を探るベースとして47都道府県に展開するショップ「D&DEPARTMENT」の大阪店、東京店の店長を経て、2009年から代表取締役社長に就任。そのほか、デザインの視点で日本を紹介するガイドブック「d design travel」の発行など、幅広いデザイン活動を行う。
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中原慎一郎
ランドスケーププロダクツ代表

1971年、鹿児島県生まれ。オリジナル家具等を扱う「Playmountain」、カフェ「Tas Yard」、コーヒースタンド「BE A GOOD NEIGHBOR COFFEE KIOSK」、ギャラリースペース「CURATOR’S CUBE」、ヴェトナム麺食堂「Pho 321 Noodle bar」を展開。また住宅/店舗のデザイン業務、イベントプロデュース/ブランドディレクションを手がける。12月23日から東京国立近代美術館工芸館にて開催される「未来へつづく美生活展」において、工芸作品セレクト、インスタレーションに参加する。
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濱田英明
フォトグラファー

1977年、兵庫県淡路島生まれ。大阪在住。2012年9月、35歳でデザイナーからフリーのフォトグラファーに転身。2012年12月、写真集「Haru and Mina」を台湾で出版。「KINFOLK」(アメリカ)、「FRAME」(オランダ)や「THE BIG ISSUE TAIWAN」(台湾)などの海外雑誌ほか、国内でも雑誌、広告など幅広く活動中。2014年10月写真集「ハルとミナ」(Libro Arte刊)を出版。「瀬戸内国際芸術祭 小豆島 醤の郷+坂手港プロジェクト」公式フォトグラファー。

鞍田崇
哲学者

1970年、兵庫県生まれ。哲学者。総合地球環境学研究所を経て、明治大学理工学部准教授。暮らしのかたちという視点から、工芸・建築、デザイン・農業・民俗など様々なジャンルを手がかりに、現代社会の思想状況を問う。著作に『民藝のインティマシー 「いとおしさ」をデザインする』(明治大学出版会 2015)、『「生活工芸」の時代』(共著、新潮社 2014)、『ウォーキング・ウィズ・クラフト』(共著、松本クラフト推進協会2014)など他多数。
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MUSUBU SHIGA

「湖と、陸と、人々と。MUSUBU SHIGA」プロジェクトは滋賀県の魅力をより県外へ、世界へと発信しブランド力を高めていく為に発足されました。日本のほぼ真ん中に位置する滋賀県。古くから交通の要として機能し、人々の交流により育まれた自然・歴史・文化的資源が豊富に存在しています。多彩な魅力あふれる滋賀だからこそ、これまで培われてきたプロジェクトやブランドも数多く存在していますが、その情報発信もさまざまであり、統一した展開が難しく滋賀のもつ真の価値を皆様にお伝えしきれていないのが現状です。私たちは、そんな滋賀県のもつ魅力を集め再構築し、滋賀県全体の新しい価値として方向性を定め、”これから”を考え、発信しながら滋賀ブランドの強化を試みます。ブランディングディレクターには、graf代表・デザイナーの服部滋樹が就任。暮らしている人々が”これまで”培ってきた魅力を分野やフィールドを超えた国内外の新たな視点をもったデザイナーやアーティストとともに調査(リサーチ)・再発見し、出会ってきたモノを繋ぎ合わせて実践しながら、あたらしい滋賀県の価値をデザインし、そして滋賀の”これから”を皆様と考えていきたいと思います。本年は、このプロジェクトのコア要素となる、滋賀県の魅力ある”ヒト・コト・モノ”の調査(リサーチ)を中心に行い、こちらのプロジェクトサイトにて、その様子を映像や、写真を使いながら皆様にお伝えしていきます。滋賀県の人々と皆様を”むすぶ”、新しいプロジェクト、「湖と、陸と、人々と。MUSUBU SHIGA」はじまります。

石川亮
美術家・アートディレクター

自然観と宗教観を生活の中に取り込み、自然と対峙しながらも共存してきた日本人の感覚やそこで共有する観念に注目し、作品制作や研究の対象としてきた。2010年頃より近江の地における地域伝承や地名など様々な要因で名付けられた湧水を収集し作品制作したことが起点となり、滋賀県の湧水を調べ、その背景やルーツを探究している。水を介した暮しや、それが受け継がれ構築された文化に焦点を当てる。2015年、ビワパールまるごとブランディング事業に携わる。 成安造形大学芸術学部助教/地域連携推進センター ・附属近江学研究所研究員

市田恭子
デザイナー・職人集団『Team coccori』代表

滋賀県生まれ。
価値が見出されず倉庫等でひっそりと眠る“モノ”に新たな価値を付けて市場に出す。10数年前よりライフワークである障害福祉事業所と商品・店舗開発を実施。特にインナーブランディングに重きを置き、独自の目線で販売チャンネルを変えるなどの編集を施し流通に乗せる。現在は、店舗や地域のデレクションなど活動領域を拡げながら、滋賀のおもしろいコトを表現しモノに乗せる形づくりをしている。
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冨田泰伸
冨田酒造十五代蔵元 兼製造責任者

東京のメーカー勤務の後、フランスのワイナリー、スコットランドなどを巡り、それぞれの地域に根差した酒造りに感銘を受ける。2002年に実家である酒蔵に戻ると、地酒の「地」の部分に重きを置く事をコン セプトとし、地元の農家と提携し滋賀の米・水・環境で醸す本当の意味での地酒造りに専念する。伝統的な日本酒製法を大切にしつつ、スパークリング日本酒や日本酒のシェリー樽熟成など新しい取組もかかさない。冬は酒造り、夏は日本酒を広めるべく西へ東へ、現在11ヶ国へ輸出もしている。

久米勝智
アトリエ兼ショップ『COMMUNE』代表

服飾専門学校を卒業後、シャツメーカーやパターン制作会社を経て彦根でアトリエ兼ショップのCOMMUNEを開店。滋賀のアトリエでのシャツ作りを通して糸や生地の生産者、シャツの作り手、作り手が作ったものを手に取ってくれるお客さん、一枚のシャツに関わるすべての人が対等で親しく交われるような関係作りを大切にしている。”日常着”として良い意味で意識せず、COMMUNEのシャツを着てくれる。そんな着てくれる人に寄り添ったシャツ作りを目指している。

加藤駿介
NOTA&design /ヤマタツ陶業

1984年、滋賀県生まれ。1881年に信楽の地に創業した家業である老舗「ヤマタツ陶業」にて陶器のデザイン、制作に従事。新しい陶器ブランドの設立や企業とのコラボレーションを社内にて構築後、陶器を軸にしたライフスタイル全般のデザイン、制作業務を行なう「NOTA&design」を設立。今春には自身の工房に併設するカフェ&ギャラリーショップを展開予定。

左嵜謙祐
魚治湖里庵 七代治右衛門

大学卒業後、京都吉兆嵐山店にて料理修行し、2003年に実家である鮒寿し魚治に戻る。「歯車になれ」という先代からの言葉とともに代を受け継ぎ七代治右衛門になる。天明4年の創業より伝わる古典醸造の古式鮒寿しの作り方を守りながら、変化する食生活に合わせた鮒寿しの食べ方を料理店「湖里庵」にて鮒寿し懐石として提案している。