滋賀をむすぶ

クリエイターが巡った滋賀をむすぶ旅。
これからの滋賀の魅力がたくさんあります。

MUSUBU SHIGA×RETRIP 加藤駿介
滋賀に受け継がれる産業と出会う旅

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全6回に渡ってお送りするMUSUBU SHIGA×RETRIPの特別企画第5弾。今回のリサーチャーは、MUSUBU SHIGAでもご紹介した信楽焼を家業とするヤマタツ陶業の加藤駿介さん。テーマは「地域産業」。ご自身も滋賀の伝統工芸・信楽焼に携わる視点から、地域に根づく産業がどのように資源や環境と関わっているのか見ていくことで、新たな滋賀の魅力を探っていきます。加藤さんとブランディングディレクターの服部さんと共に、各地を巡りました。

 

加藤 駿介プロフィール
NOTA&design /ヤマタツ陶業。1984年、滋賀県生まれ。1881年に信楽の地に創業した家業である老舗「ヤマタツ陶業」にて陶器のデザイン、制作に従事。新しい陶器ブランドの設立や企業とのコラボレーションを社内にて構築後、陶器を軸にしたライフスタイル全般のデザイン、制作業務を行なう「NOTA&design」を設立。今春には自身の工房に併設するカフェ&ギャラリーショップを展開予定。

 

滋賀に受け継がれる産業と出会う旅
最初に向かったのが、小椋谷にある木地屋民芸品展示資料館。豊かな自然に囲まれるこの地は轆轤(ろくろ)という工具を使用して、お椀や盆などの木地を作る木地師(木地屋)の聖地といわれている。

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その資料や道具を展示する資料館を管理している小椋さんにお話を伺った。「もともとの木地師の始まりは9世紀頃、隠棲していた小野宮惟喬親王から手引ろくろという人力のろくろ技術を教わったのが始まりです。そこからどんどん職人たちが増えだした。職人が増えるにつれて、周辺の木が少なくなった。そのため多くの職人たちが木を求めて全国に分かれていくことで、木地師の技術が広がっていきました。」展示されている資料を見ると、東北、信州、東海から四国まで木地師は広く分布し、その数は2万5千人にまでのぼったのだという。「古くからそれだけたくさんの人が滋賀から色んな経路で移動したのだったら、近江商人は木地師のあとを辿って、商売をしたのかもしれないね」と服部さん。小椋さんも「資料は残っていないけど、近江商人と木地師は関係したといわれている」とかつての木地師が与えた滋賀への影響に関心していた。

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続いて木地師が、なぜこの地で繁栄できたのかという話題に。「信楽の場合でいくと、焼き物をつくるための豊かな土があったからなんです。あとは窯の燃料としての松も豊かだったというように、資源が大きな鍵をにぎっていました。」という加藤さんに、小椋さん「木地師も同じです。加工がしやすく粘り気がある栃の木がこのあたりは豊富でした。さらに重要だったのは鉱山。やっぱり木を削るための鉄が取れないといけなかったので。その2つが揃っていたというのは、繁栄する後押しになったといわれています」資料館の奥に、東北の名産になっているこけしが所狭しと並んでいる。それはこの小椋から木地師が広がり、はるか遠くの東北でその技術を活かし、こけしが作られた証。木地師がどれだけ広い地域まで影響したかが伺える。

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「ちなみに小椋という名字は、この地から生まれたといわれています。このあたりには小椋がたくさんいますし、東北の方でもよく聞く名字です。私もその一人です」と小椋さんは誇らしげだ。今では県内よりも、県外の方が木地師の数は多い。しかし、そのルーツをたどれば、必ずこの地へつながる。今でも全国の木地師たちがこの地と深いつながりを持っているという。地域産業であるとともに、ものづくりの原点ともいえる木地師の歴史を堪能した一行は、次なるスポットへと向かった。

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次に向かったのは加藤さんが「ずっと来たかった」という彦根のバルブメーカー・マツバヤシ。「彦根といえば「3B」が有名ですよね。仏壇。ブラジャー。そしてバルブ。ずっと知りたかったのですがなぜバルブが彦根で栄えたのですか?」という加藤さんの質問に答えてくれたのは、滋賀バルブ協働組合の専務理事でもあった寺西さん。「滋賀にはバルブの素材になる資源があったわけではありません。ただ、この地域では仏壇技術が古くから栄えていました。そこで培われた技術の一つに、型に流しこんでものづくりを行う鋳造技術があったんです。その鋳造技術を使って当時、海外製だった近江絹糸の工場で使用していたバルブを作れないのかとなった。そして、一人の技術者を先導に作りはじめて広がったといわれています」

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当時は徒弟制度が主流で、親方の下には弟子がたくさんいた。そこで技術を覚えた弟子たちがどんどんと独立していき、明治初期の軍事需要の増加も後押しとなって、産業として確立していった。今では、彦根のいたるところで船のバルブから水道バルブなど、様々な種類が作られるようになり、全国でもトップクラスのシェアを誇るようになった。「そこが面白いよね。全部バルブだけど、供給先の業種は様々。それなのに根本のルーツを辿ると仏壇になる。仏壇の技術を持って、そのまま彦根仏壇を継いでいる人もいれば、バルブ業界へと進んでいった人もいる。人の学びで事業が変わっていくすごい例だ」と服部さん。

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続いて、マツバヤシが作っているオリジナルのバルブを社長の松林さんに見せていただいた。「これがビワライトと呼ばれる素材を使ったバルブです。鉛フリーというのが大きな特徴です」机の上には片手に収まるほどのバルブが置かれる。鉛が入っていない分、酸化や劣化を防ぐというのだという。「10年がかりでようやく彦根市の水道メーターに採用されました。今までどれだけ性能が高くても、ある一定の基準さえクリアていればあとは価格で評価されてきました。どれだけいい製品でも、安いバルブに負けていたんですよね。だからこそ、今回、価格だけでなく性能を基準に評価をしていただき、ビワライトの性能が認められたことは、これからさらに滋賀のバルブ業界を変えていくきっかけになるかもしれません」と松林さんもうれしそうに語る。

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通常はタブーとされる硫黄を銅に入れることで、強度が高く、加工もしやすいように粘り気もある鉛フリーの製品を実現したという。「鉛フリーのバルブは国内では見たことがない」と加藤さんも興奮した。そして続けて「このビワライトは、企業に対しての供給だけでなく、安全性が高く酸化しない魅力を持つのだから、一般的な消費者に直接届く商品にもどんどん使われていってほしいですね」と、すっかり虜のようだった。服部さんも「日本の場合、21世紀はユーザーを育てるという感覚がなくなった。買い物を通して、買う人自身が育つという時代があったはずなのに、今はない。

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だからこそ、今、どう賢いユーザーを育てていくかがメーカーに問われている。そういう意味ではユーザーの一番近いところの商品を作り、新たな選択肢としてビワライトを提示することで、その価値は広がっていくと思う」資源からではなく、技術を通して新たに根付いた地域産業であるバルブ。ただそのバルブも、滋賀という水と密接に関わる土地だからこそ広がりをみせた。次に、今まさに新たに生まれようとしている産業を求めて、大津へと足を運んだ。

 

滋賀といえば日本酒づくりが盛んなことでも知られているが、大津市にあるナインリーヴスはラムをつくっている。もともとは自動車関係で働き、現在は一人でラム酒を作っているという竹内さんに話を聞いた。「ラムを作ろうと考え始めたのは自分のブランドを作りたいと思ったことが、きっかけでした。もともと愛知で自動車関連の会社の社長をしていましたが、その中で直接お客さまに自分の“ものづくり”を届けたいと思ったんです」そう語るようにナインリーヴスはマイクロ・ディスティラリー(小規模蒸留所)。すべてが竹内さんの目が届くことを前提とした環境になっている。製造から、梱包、出荷にいたるまですべて一人。まさに想いのすべてが詰まったラムづくりが行われていた。

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そんな竹内さんがこの地でラム造りを行うきっかけになったのが、現在の工房近くにある井上長石鉱山から湧き出る、硬度12という珍しい超軟水との出会いだった。「僕のラムは自分の造りたいものを世に出したいと思っただけで、こういうご縁も含めて“たまたま”なんですよね」と竹内さん。山に降り注いだ水が濾過されてできる天然水が一般的な中、この鉱山の水は地下からの湧き水。熱処理をせずに水本来の味が楽しめる。井上長石鉱山といえば、水だけでなくその水を育む長石も広く知られている。「実は僕もこちらの長石を信楽焼に使っています」と思いもよらない偶然に加藤さんも驚いていた。

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目の前ではそんな奇跡の水が、スコットランドの名門蒸留器フォーサイスの中でラムへ生まれ変わっていく。「初留では、うっすら青色になり、そして再留でもっと透明になり甘味がでてくるんです」鼻と舌を頼りに、竹内さんがラムを確かめる。試飲をしてみると驚くのはその香り。芳醇なキャラメルのような香りが鼻の中に広がる。このラムは「ラムフェスト パリ」という品評会にて日本産ラムとして初受賞をはたしている。

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滋賀という土地と偶然出会い、世界に認められるラムを一人で作り上げた竹内さんに改めて、ラムと地域の結びつきについて聞いてみた。「僕は滋賀の素晴らしい資源に出会い、偶然にもご縁をいただきこの地でラムを作っていますが、滋賀=ラムにしたいとは考えていないんですよね。ただ、僕はこのラムを国内だけでなく、世界に向けて売っていて、世界の人がこのラムを飲んだときに、ラムの背景にあるこの滋賀という土地の魅力を感じてもらうことはできると思います。そういう意味で、この地域に貢献していきたいですね」

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ヨーロッパのラムの蒸留所は雄大な場所で作られていることが多く、味や香りはもちろんのこと、ラムができるまでの物語もブランドとしての評価に含まれる。その中で、身近に自然が残り、四季折々の表情があるこの蒸留所の環境は、世界と比べても遜色がないという。そして竹内さんが「これが恵みの地・日本にある滋賀なんだと、胸を張って世界で戦えます」と結んだ。滋賀から生まれる新たな可能性を体感した後は、本日最後となる松井造船所へと向かった。

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大津市堅田の湖畔沿いに工房を構える松井造船所。工房内には所狭しと木材が置かれ、そこで二代目である松井さんが和船を制作している。かつて琵琶湖を走っていた丸子船の模型を手に、松井さんが滋賀の船について話してくれた。「これは100石ほど詰める丸子船で、重さでいうと15トン。主には商業での荷物の運搬用として、私が滋賀で仕事を始めた頃はよく、工房裏の湖に船が往来する姿を見かけました」

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昭和はじめまでは運搬の主流として使われていた丸子船も、今では鉄道や車へ、そして船を作る素材も木材から鉄へと変わり、和船を作ることができる職人は数えるほどになったのだという。「地域産業のベースは、その土地での需要や資源がベースだと思うんですけど、そこで作り続ける人がいるから残り続けることができる。ただ、信楽焼も同じですが、同じことをしていてもだめで、産業ベースで考えた時に、技術を今の時代にすりあわせていきながら、進化させていくのが難しいところですね」と加藤さんはいう。「確かにそうですね。今は和船を作れる人がほとんどいないので、滋賀だけでなく、色んなところから仕事が来ます。例えば西本願寺や京都御所の池の掃除に使う船や、京都の高瀬川で使う船もうちで手がけています」

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今、制作中の船を見せていただいた。杉が貼り合わされて作られ、木と木の間には槇の葉を詰めて水止めを行うのだという。驚くのはこの船には設計図がないこと。「頭の中に寸法があるから。作り方も当時のままですね」材料が揃えば、一人で2・3カ月で出来るというのも驚きだ。工房の入口付近には、船の元になるという巨大な一本杉が置かれていた。「木は新しけれればいいというわけではなくて、しっかりと木を乾燥させないと釘を打った後に縮んで、水漏れの原因になってしまいます」と松井さんは語る。

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滋賀の中心にある大きな琵琶湖の中で、人と人、人と物を安心して結ぶためにも、しっかりと寝かせて、芯の通った木が必要となる。滋賀の歴史は、湖との歴史。そんな湖と人との暮らしを支えてきた船の文化は、滋賀という地域をこえて今も松井さんの手によって残り続けていた。そんな滋賀ならではの産業を間近に触れながら、地域産業を巡る旅は幕を閉じた。

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今回、地域産業を通して、産業と滋賀という土地との関わりを見てきた。自身も滋賀の資源を使い、信楽焼に携わる加藤さんに、旅を振り返ってもらった。「今回、様々な地域産業の形をみて思ったのですが、一般の人って伝統産業や地域産業といったら、古くからやっていて、歴史が長いことに価値が高いと思いがちだけど、そうではないと思うんですね。信楽焼も明治時代から大きく発展した産業です。鉄やガラス、繊維も、国内の産業革命ごろからはじまったものが多いですが、今や日本の産業の礎になっている。そこには新しいも、古いもない。そして、古くから続くものも、まだ生まれたばかりのものも、この地で始める必然性はあったにしても、新たな産業を生み出す力はすごいと思ったし、それを可能にするポテンシャルが滋賀にはあったんでしょうね」

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続いて服部さんはこう締めくくった。「もう一つ、地域産業は県外に商品を届けることで成立しているなと、今回改めて感じたね。しかも地域で受け継がれている産業というだけではなく、どの会社も共通してイノベーティブなことを行なっていた。時代を継いでいくためにはどんどん新しいことをする必要があるし、それが滋賀では行われていると感じた。今はIターン、Uターンで人が戻っている。僕らの時代でそんな地域を地盤にした新しい産業のベースが出来上がり、子どもたちの時代にそのプラットホームから飛び立てる人が出てくる。だからこそ今、地域産業を支える人の力の偉大さを感じるし、そんな人たちが地域でしっかりと根をはり、県外も意識して、世界も意識している地域産業の未来は明るいですね」

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クリエイティブディレクター

大阪1970年生まれ、大阪府出身。graf代表、クリエイティブディレクター、デザイナー。美大で彫刻を学んだ後、インテリアショップ、デザイン会社勤務を経て、1998年にインテリアショップで出会った友人たちとgrafを立ち上げる。建築、インテリアなどに関わるデザインや、ブランディングディレクションなどを手掛け、近年では地域再生などの社会活動にもその能力を発揮している。京都造形芸術大学芸術学部情報デザイン学科教授。
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ナガオカケンメイ
デザイン活動家・D&DEPARTMENTディレクター

1965 年北海道生まれ。’90年、日本デザインセンター入社。原デザイン研究所設立に参加。2000年、東京世田谷に、ロングライフデザインをテーマとしたストア「D&DEPARTMENT」を開始。’02年より「60VISION」(ロクマルビジョン)を発案し、60年代の廃番商品をリ・ブランディングするプロジェクトを進行中。’03年度グッドデザイン賞川崎和男審査委員長特別賞を受賞。日本のデザインを正しく購入できるストアインフラをイメージした「NIPPON PROJECT」を47都道府県に展開中。’09年より旅行文化誌『d design travel』を刊行。日本初の47都道府県をテーマとしたデザインミュージアム「d47 museum」館長。’13年毎日デザイン賞受賞。武蔵野美術大学客員教授。京都造形大学教授。
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野村友里 / フードディレクター
フードクリエイティブチーム「eatrip」主宰

長年おもてなし教室を開いていた母の影響で料理の道へ。母からゆずり受けた、日本の四季折々を表す料理やしつらえ、客人をもてなす心、をベースに食を通じて様々な角度から人や場所、ものを繋げ、広げている。主な活動として、レセプションパーティなどのケータリングフードの演出や、雑誌の連載、ラジオ番組等。それらを通して食の可能性を多岐に渡って表現し、その愉しさを伝える。2011年には、「シェ・パニース」のシェフたちとともに、「生産者」「料理人」「消費者」をつなぐ参加型の食とアートのイベント“OPEN harvest”を開催。その経験を経て日本のシェフたちとともに、その土地土地の風土や文化を、食を通じて身体に取り込んでいくことをコンセプトに“nomadic kitchen”プロジェクトを始めた。2012年東京原宿にて、豊かな緑と光と風に恵まれた「restaurant eatrip」をオープン。生産者、野生、旬を尊重し、料理を通じて今後も食のもつ力、豊かさ、美味しさを伝えられたら、と活動を続ける。初の監督作品となる食のドキュメンタリー映画『eatrip』は2009年公開、現在はDVD化され販売中。著書に『eatlip gift』(マガジンハウス)がある。
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ルーカスB.B.
クリエイティブディレクター/編集人

アメリカ生まれ。カリフォルニア大学卒業後、来日。(有)ニーハイメディア・ジャパン代表取締役として、トラベル誌『PAPERSKY』やファミリー誌『mammoth』を発行しながら、ウェブサイトやイベントプロデュースなどもおこなっている。これまでに手がけた雑誌に『TOKION』『metro min.』『PLANTD』などがある。2014年にはNTTドコモのアプリメディア『japan jikkan』を創刊。また、ファミリー向け野外フェスティバル「mammoth pow-wow」や日本再発見の旅プロジェクト「PAPERSKY tour de Nippon」のイベントプロデュース等、幅広く活動している。
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相馬夕輝
D&DEPARTMENT PROJECT代表取締役社長

1980年、滋賀県出身。D&DEPARTMENT PROJECT代表取締役社長。2003年同社に入社。「ロングライフデザイン」をテーマに地域らしさを見直し、これからのデザインのあり方を探るベースとして47都道府県に展開するショップ「D&DEPARTMENT」の大阪店、東京店の店長を経て、2009年から代表取締役社長に就任。そのほか、デザインの視点で日本を紹介するガイドブック「d design travel」の発行など、幅広いデザイン活動を行う。
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中原慎一郎
ランドスケーププロダクツ代表

1971年、鹿児島県生まれ。オリジナル家具等を扱う「Playmountain」、カフェ「Tas Yard」、コーヒースタンド「BE A GOOD NEIGHBOR COFFEE KIOSK」、ギャラリースペース「CURATOR’S CUBE」、ヴェトナム麺食堂「Pho 321 Noodle bar」を展開。また住宅/店舗のデザイン業務、イベントプロデュース/ブランドディレクションを手がける。12月23日から東京国立近代美術館工芸館にて開催される「未来へつづく美生活展」において、工芸作品セレクト、インスタレーションに参加する。
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濱田英明
フォトグラファー

1977年、兵庫県淡路島生まれ。大阪在住。2012年9月、35歳でデザイナーからフリーのフォトグラファーに転身。2012年12月、写真集「Haru and Mina」を台湾で出版。「KINFOLK」(アメリカ)、「FRAME」(オランダ)や「THE BIG ISSUE TAIWAN」(台湾)などの海外雑誌ほか、国内でも雑誌、広告など幅広く活動中。2014年10月写真集「ハルとミナ」(Libro Arte刊)を出版。「瀬戸内国際芸術祭 小豆島 醤の郷+坂手港プロジェクト」公式フォトグラファー。

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1970年、兵庫県生まれ。哲学者。総合地球環境学研究所を経て、明治大学理工学部准教授。暮らしのかたちという視点から、工芸・建築、デザイン・農業・民俗など様々なジャンルを手がかりに、現代社会の思想状況を問う。著作に『民藝のインティマシー 「いとおしさ」をデザインする』(明治大学出版会 2015)、『「生活工芸」の時代』(共著、新潮社 2014)、『ウォーキング・ウィズ・クラフト』(共著、松本クラフト推進協会2014)など他多数。
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MUSUBU SHIGA

「湖と、陸と、人々と。MUSUBU SHIGA」プロジェクトは滋賀県の魅力をより県外へ、世界へと発信しブランド力を高めていく為に発足されました。日本のほぼ真ん中に位置する滋賀県。古くから交通の要として機能し、人々の交流により育まれた自然・歴史・文化的資源が豊富に存在しています。多彩な魅力あふれる滋賀だからこそ、これまで培われてきたプロジェクトやブランドも数多く存在していますが、その情報発信もさまざまであり、統一した展開が難しく滋賀のもつ真の価値を皆様にお伝えしきれていないのが現状です。私たちは、そんな滋賀県のもつ魅力を集め再構築し、滋賀県全体の新しい価値として方向性を定め、”これから”を考え、発信しながら滋賀ブランドの強化を試みます。ブランディングディレクターには、graf代表・デザイナーの服部滋樹が就任。暮らしている人々が”これまで”培ってきた魅力を分野やフィールドを超えた国内外の新たな視点をもったデザイナーやアーティストとともに調査(リサーチ)・再発見し、出会ってきたモノを繋ぎ合わせて実践しながら、あたらしい滋賀県の価値をデザインし、そして滋賀の”これから”を皆様と考えていきたいと思います。本年は、このプロジェクトのコア要素となる、滋賀県の魅力ある”ヒト・コト・モノ”の調査(リサーチ)を中心に行い、こちらのプロジェクトサイトにて、その様子を映像や、写真を使いながら皆様にお伝えしていきます。滋賀県の人々と皆様を”むすぶ”、新しいプロジェクト、「湖と、陸と、人々と。MUSUBU SHIGA」はじまります。

石川亮
美術家・アートディレクター

自然観と宗教観を生活の中に取り込み、自然と対峙しながらも共存してきた日本人の感覚やそこで共有する観念に注目し、作品制作や研究の対象としてきた。2010年頃より近江の地における地域伝承や地名など様々な要因で名付けられた湧水を収集し作品制作したことが起点となり、滋賀県の湧水を調べ、その背景やルーツを探究している。水を介した暮しや、それが受け継がれ構築された文化に焦点を当てる。2015年、ビワパールまるごとブランディング事業に携わる。 成安造形大学芸術学部助教/地域連携推進センター ・附属近江学研究所研究員

市田恭子
デザイナー・職人集団『Team coccori』代表

滋賀県生まれ。
価値が見出されず倉庫等でひっそりと眠る“モノ”に新たな価値を付けて市場に出す。10数年前よりライフワークである障害福祉事業所と商品・店舗開発を実施。特にインナーブランディングに重きを置き、独自の目線で販売チャンネルを変えるなどの編集を施し流通に乗せる。現在は、店舗や地域のデレクションなど活動領域を拡げながら、滋賀のおもしろいコトを表現しモノに乗せる形づくりをしている。
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冨田泰伸
冨田酒造十五代蔵元 兼製造責任者

東京のメーカー勤務の後、フランスのワイナリー、スコットランドなどを巡り、それぞれの地域に根差した酒造りに感銘を受ける。2002年に実家である酒蔵に戻ると、地酒の「地」の部分に重きを置く事をコン セプトとし、地元の農家と提携し滋賀の米・水・環境で醸す本当の意味での地酒造りに専念する。伝統的な日本酒製法を大切にしつつ、スパークリング日本酒や日本酒のシェリー樽熟成など新しい取組もかかさない。冬は酒造り、夏は日本酒を広めるべく西へ東へ、現在11ヶ国へ輸出もしている。

久米勝智
アトリエ兼ショップ『COMMUNE』代表

服飾専門学校を卒業後、シャツメーカーやパターン制作会社を経て彦根でアトリエ兼ショップのCOMMUNEを開店。滋賀のアトリエでのシャツ作りを通して糸や生地の生産者、シャツの作り手、作り手が作ったものを手に取ってくれるお客さん、一枚のシャツに関わるすべての人が対等で親しく交われるような関係作りを大切にしている。”日常着”として良い意味で意識せず、COMMUNEのシャツを着てくれる。そんな着てくれる人に寄り添ったシャツ作りを目指している。

加藤駿介
NOTA&design /ヤマタツ陶業

1984年、滋賀県生まれ。1881年に信楽の地に創業した家業である老舗「ヤマタツ陶業」にて陶器のデザイン、制作に従事。新しい陶器ブランドの設立や企業とのコラボレーションを社内にて構築後、陶器を軸にしたライフスタイル全般のデザイン、制作業務を行なう「NOTA&design」を設立。今春には自身の工房に併設するカフェ&ギャラリーショップを展開予定。

左嵜謙祐
魚治湖里庵 七代治右衛門

大学卒業後、京都吉兆嵐山店にて料理修行し、2003年に実家である鮒寿し魚治に戻る。「歯車になれ」という先代からの言葉とともに代を受け継ぎ七代治右衛門になる。天明4年の創業より伝わる古典醸造の古式鮒寿しの作り方を守りながら、変化する食生活に合わせた鮒寿しの食べ方を料理店「湖里庵」にて鮒寿し懐石として提案している。