滋賀をむすぶ

クリエイターが巡った滋賀をむすぶ旅。
これからの滋賀の魅力がたくさんあります。

MUSUBU SHIGA×RETRIP 左嵜謙祐
食から見る滋賀の暮らしと新たな魅力を巡る旅

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全6回に渡ってお送りするMUSUBU SHIGA×RETRIPの特別企画第6弾。今企画の最後となるリサーチャーは、天明4年(1784年)に開業した老舗の鮒寿し店・魚治の七代目を継ぎ、湖里庵で鮒寿し懐石を提供する左嵜謙祐さん。今回のテーマは「食」。湖の恵み、山の恵み、川の恵みと共に受け継がれる、滋賀の食の文化。暮らしに一番近い食を感じることで、滋賀の新たな魅力を見つける旅へ。左嵜さんとブランディングディレクターの服部さんと共に、各地を巡りました。

 

左嵜 謙祐プロフィール
魚治湖里庵 七代治右衛門。大学卒業後、京都吉兆嵐山店にて料理修行し、2003年に実家である鮒寿し魚治に戻る。「歯車になれ」という先代からの言葉とともに代を受け継ぎ七代治右衛門になる。天明4年の創業より伝わる古典醸造の古式鮒寿しの作り方を守りながら、変化する食生活に合わせた鮒寿しの食べ方を料理店「湖里庵」にて鮒寿し懐石として提案している。

 

食から見る滋賀の暮らしと新たな魅力を巡る旅
今回の旅の始まりは鮒寿し懐石を味わうことができる湖里庵で、左嵜さん自らの手による朝食から始まった。食文化について、滋賀の地域ごとにどんな違いがあるのか。そんな話題の中でまず挙がったのはお雑煮についてだった。「僕のところは、お味噌汁に餅が入っているだけのシンプルなものなんですよ。お祝い感は薄いですけれども。でも、これがちょっと湖南の方へ行ったり、湖東の城下町の地域に行くとぜんぜん違うんですよね」と左嵜さん。それに対して服部さんは「僕の実家は大阪の千里だけど、白味噌とお吸い物で作ったものを順番に食べるね。また奈良に行った時は白味噌の汁で、餅を出してきな粉をつけて食べるとのこと。お雑煮って暮らしに近い食文化だからその地域性が出て面白いよね。今回の旅ではそういう地域によって味や食材に違いが出てきそう」これから始まる旅への期待を胸に、朝食が運ばれてくる。

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「僕の地域は鮒寿しを代表するように、湖の恵みをストレートにいただく料理です」と左嵜さん。本日、たまたま揚がったというビワマスのお造り。ゆるぎかぶらの切り漬け。鮎の稚魚である氷魚の釜揚げ。もろこのうま煮など、湖北の冬の食材を使った料理が次々に出される。料理の品を説明しながら使用している食材についても左嵜さんは教えてくれた。「例えば、今日の料理にも使用したかぶらは、昔はこのあたりでは当たり前に作っていたものなんですよ。ただそれがだんだん野菜も魚も、流通が良くなって土地のもの以外も多く食べられるようになって、食材も、調理方法もだんだんと暮らしから離れていってしまった」そんな時代だからこそ、地元の人が作るこの土地ならでの野菜を使うことにはこだわっているという。また味についても自分が小さいころから慣れ親しんだ味を作るためには、どうしてもこの土地ならではの野菜を使わないと再現できないという。

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続いて左嵜さんが説明してくれたのは滋賀の名産としても有名な「えび豆」。「滋賀ではおせちでもよく使われるえび豆ですが、これは海のエビが獲れない滋賀だからこそ根付いている文化。すじえびは炊いても赤色が残り、腰が曲がる。『腰が曲がっても、まめでいられるように』という意味で、正月や結婚式には必ずつきますね」滋賀の伝統行事の中には昔ながらの食文化が受け継がれているという。おせちもその一つ。「僕らが作る鮒寿しも本当はオケを開けるのは正月だったんですよ」と左嵜さんはいう。「鮒寿しの出来がその年の一年を決める占いになりそうだね」と服部さんもその話を聞いて興味をもっているようだった。

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さらに左嵜さんが料理をする中で、滋賀の料理について変わってきていることもあるという。「一時期は、やっぱりタイやマグロという地元では獲れない食材による豪華さを外食に求めていた時期があった。でもそれが最近、例えばこの海津に来てマグロを食べてもしょうがないだろう。今、この地ならではの食材や料理を食べたいという人が増えてきて、流れが変わってきたように感じます」そんな守り続けられる食とそれを受け入れる時代を感じながら、次の昼食の場となる比良山荘へと一行は向かった。

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次なる食文化を求めて訪れたのは大津市の比良山系の麓にある比良山荘さん。豊かな山々に囲まれる集落の中に店はあり、この山の恵みを「山の辺料理」としていただくことができる。迎えてくれたのは3代目当主・伊藤剛治さん。

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「今日は松の内なので、お正月の盛り付けです。富士山からの初日の出をイメージしています」そんな言葉とともに出てきたのは、鯉の白子、川えび、松葉に刺された黒豆と銀杏。そして、鮎のなれ鮨。「このなれ鮨は特に美味しい!」という服部さんに左嵜さんは「鮎のなれ鮨って湖北にはない料理ですね。地域的な理由もあるのですが、もともと岐阜で獲れた鮎を天皇に献上するために、江戸へと運ぶ途中に腐らないよう、なれ鮨にして運んでいたというのが文化の始まりだといわれています。当時は運ぶのに一週間ぐらい時間がかかって、ちょうど届く際に一番発酵して美味しくなるように計算していたようです」その文化が受け継がれ、川の上流に生息する鮎をなれ鮨にするという文化が伝わっているのだとか。また山の鮎は湖岸沿いのものと比べるとサイズも大きく、味も格別。続いて、鯉の白子。こちらの鯉はお店の裏側に飼われているもの。長時間泳がせているのが特徴で、昼と夕方にお客様の注文が入ってから捌いて作るのだとか。

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そんな鯉を存分に味わえるのが「鯉のお造り」。「洗いではなくて、お造りなんですね!」と左嵜さんも驚いていた。「鯉は夏場だと、脂が多くて洗いをしないとしつこく感じますが、冬はたっぷりとのった脂をいただくのが美味しいので、あえてお造りにしています」川魚の命は鮮度。海魚と違い、生きたままで捌いて食べるのが美味しいといわれ、だからこそ、生産地でいただく川魚の美味しさは絶品だという。

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続いて、メインディッシュとなる月鍋。「こちらはツキノワグマの肉です」と伊藤さんが出してくれたのは綺麗に花のように盛られた熊の肉。冬眠する前の肉は、秋からたっぷりと栄養を蓄えていて、脂ものっている。肉は伊藤さん自らが目の前で、鍋に肉を入れて火を通してくれる。「熊の匂いを敬遠する人が多かった時代ってなんだったんでしょうね」と聞く左嵜さんに「それがジビエの悲しい時代です。いつも申し上げるんですけど、どの時期がいいとか、どの部位が美味しいとかって実は個体差なんですよ。個体が良くなければ、どこを食べても美味しくない。逆に個体がよければ、どの部位を食べても美味しいんです。もちろん調理の仕方もありますが、個体差の違いが大きいからこそそこにこだわっています」話しながらも「火を通しすぎると、旨味が逃げるので」と左嵜さんと服部さんに熊肉をよそう伊藤さん。「うまい!!」と二人とも驚きの表情。他のどの肉にも当てはまらない柔からさと甘みが詰まった脂身に、ご満悦の様子。

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そんな絶品の熊料理も、メニュー化するまでには苦労もあったと伊藤さんはしみじみと語る。「実は月鍋はもともと先代の時は裏メニューで、それほど肉自体も取れなかったのです。この辺は熊が近畿で一番多いと言われるけど、だいたい鹿が1000頭に対して、イノシシは100頭、熊は1頭です」そんな状況の中、表メニューになるまでは時間もかかったようで「色々ありましたよ」と伊藤さんは笑う。熊はもともと美味しいのは分かっていたが、それを獲ってくる猟師がいなかった。そこで地元の有名な猟師と共に、チームを作り、徐々に収穫量を安定させていったのだという。それでも、一人一人の猟師によって獲り方や納品形態も違い、最近ようやくマニュアル化ができたのだという。

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月鍋の後に出てきたのはイノシシを使用した牡丹鍋。こちらは味噌仕立てでいただく。「普通のイノシシは40キロほどのサイズですが、これは特別で200キロを超える超大物。僕もこの仕事をやっていて記憶にないほどの肉なんです」と伊藤さん。熊肉とはまた脂も肉質も違う猪肉に舌鼓を打つ二人。滋賀の山が育てた恵みを食べながら、滋賀の料理について左嵜さんが語った。「京都での修行時代に、京料理を食べ歩いていたのですが、その時に出会った大将に『京料理って何か分かるか』と聞かれたことがあって。その時教えてくれたのは『京都でやっている日本料理=京料理』で、これを習って帰っても縛られてはだめだと。その技術を活かして自分が料理をする土地・滋賀を見せられるようにしないとって。滋賀の食材を活かした料理を食べていたら、その時のことを思い出しました」

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それに続けて伊藤さんも「僕も同じことをお客さんに言われ続けていますね。お客さんの方がよっぽどこの店に来る意味を知っている。ここで京料理を食べてどうするんだって。だからこそ、左嵜さんの近江懐石になったり、うちの山の辺料理のようになったり。土地に合わせて変わっていったんでしょうね。ここに至るまでにはいろんな時間と工夫がかかりましたが」二人の話に服部さんもうなづきながら「二人の話を聞くと、滋賀でやる意味をしっかりと意識を持ってやっていて、二人のお店が有名なだけに余計だけど、滋賀の食として大きな発信源となっていくような、そんな凄いものを感じるよね」滋賀の食の未来について語りながら、最後の夕食の舞台となる近江八幡へと向かった。

 

滋賀の食をテーマにした旅の最後を締めくくるのは近江八幡にあるひさご寿し。出迎えてくれたのは左嵜さんと同い年という川西豪志さん。カウンター越しに、夕食の会が始まりを迎える。「琵琶湖のおひたしです」と川西さんが出してくれたのは琵琶湖のすじえびと近江かぶらを使ったおひたし。お皿はなんと琵琶湖で取れるイケチョウガイを削ったもの。「料理をしていてまさか貝殻を削ることになるとは思わなかった」と笑いながら川西さんは教えてくれた。

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料理に使う素材から、お皿に至るまで近江八幡を凝縮した一品に左嵜さんも「うまいなー」と満面の笑み。それを見ながら川西さん。「近江八幡っていうと、旧市街の街並みや沖島が観光としては有名ですけど、実は街全体として見ると近江八幡は農村の方が多いんですよ」それに続けて左嵜さんも「たしかにそうですよね。僕が住んでいる湖西は割と山や湖から恵みをいただくというイメージだけど、さっきのイケチョウガイも琵琶パールを養殖しているから獲れるように、人の手が入って、自然と付き合っていくという文化があるイメージだね」そんな近江八幡も湖側と山側では文化が違うという。中山道を境にそこから山側の地下水は軟水、湖側は琵琶湖の硬水が流れており、まるでグラデーションのようにだんだんと暮らし方や風習も変わっていく。

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カウンターから席を移し、次の料理へ。次は、北之庄菜をすり潰し、滋賀羽二重糯と一緒に合わせた饅頭。上にはゆりなのあんかけがかかっている。「この北ノ庄菜ですが、滋賀の湖でもない、川でもない、水郷という陸に入ったところにある農村地帯で作られたものです。これは肥沃な土地では逆に取れなくて、水郷地帯のように土が粘土質で枯れているところでしか育たないんですよ」

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そう言いながら川西さんの手には立派なカブラが持たれていた。さらに続けて北ノ庄菜の名前の意味について川西さんは教えてくれた「北ノ庄菜と言いますが、葉っぱだけではなくて、全部食べるんです。しかも秋にタネをまいて、10月から5ヶ月間ほど、間引きしながら小さいものから大きなものまで順番に食べていく。中国語で使うおかずという意味の『菜』なんです」話を聞きながら服部さんと左嵜さんは北ノ庄菜を食べてみる。「味がしっかりしてるね。これは一般的に流通してるの?」と左嵜さん。「一部でだけですね。この北ノ庄菜は辛味もあるし、甘みもある。個性はあるのに、なかなか表現しにくい味というのがなんか滋賀っぽいなって思うんですよね」と川西さんは楽しそうに語る。

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左嵜さんと川西さんの話は湖西と湖東の料理名の違いの話に。「ジョキって知ってます?魚を皮ごと刻んで食べるものなんですが」という川西さんに「それ僕のところではどんがねっていうんですよ。フナとかニゴイとかで作りますね」魚の皮ごと刻んで食べるという調理法は同じ。味付けもどちらも酢味噌。同じ料理なのに、名前が違うことに対して二人とも驚いている様子だった。そしてそんな料理人同士の料理トークに花を咲かせながら、最後に出てきたのはひさご寿しならではの寿司の数々。近江八幡ではお祭りの時に食べられるという鯖寿しに、ビワマス棒鮨し。汁物は琵琶湖のセタシジミで。近江八幡の畑の恵み、湖の恵みを存分に味わいながら、食の旅は終わりを迎えた。

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今回の旅について改めて左嵜さんに振り返ってもらった。「滋賀の食文化を調べていくと、人間も自然の一部に組み込まれながら作られているサイクルがあるなと感じましたね。例えば、湖西だと鮒寿しの鮒の漁もそうだし、比良山荘の山の猟も同じ。自然と共に暮らし、その恵みをいただく。湖東でも田んぼに魚が産卵のためにやってきて、その魚を獲る文化もあります。そう思うと、人間がこっちからアクションするだけのものではなく、人間だけで作れるサイクルでないのが面白いですね。しかも、それがちゃんと食という文化を通して残っている」その土地ごとに魅力的な食材があり、その食材を生かす調理方法が残っている。「それこそが滋賀の魅力だと思うし、そういう食のコミュニティを残していくのが自分たちの仕事だと思います」と左嵜さんは語ってくれた。最後に服部さん「食のコミュニティという点で言うと、魚を獲る人たちがいて、山に入って山菜を取る人たちがいるという具合に、その村や地域での役割って人それぞれにあったのかもしれないね。お金が介在して、そのコミュニティの役割から自分の仕事となってしまったけれど、滋賀にはちゃんと食という形で残っている。今日、3つの地域の食を巡って、一番身近な食の中に、滋賀の文化が残っているよって言われた気がした。だからこそ、食を通して、滋賀にある湖や山、川の豊かな自然が見えてきたし、暮らしの中にそんな自然を取り込んでいるバランスの良さこそが滋賀の魅力なのだなと感じたね」

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服部滋樹 / graf代表
クリエイティブディレクター

大阪1970年生まれ、大阪府出身。graf代表、クリエイティブディレクター、デザイナー。美大で彫刻を学んだ後、インテリアショップ、デザイン会社勤務を経て、1998年にインテリアショップで出会った友人たちとgrafを立ち上げる。建築、インテリアなどに関わるデザインや、ブランディングディレクションなどを手掛け、近年では地域再生などの社会活動にもその能力を発揮している。京都造形芸術大学芸術学部情報デザイン学科教授。
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ナガオカケンメイ
デザイン活動家・D&DEPARTMENTディレクター

1965 年北海道生まれ。’90年、日本デザインセンター入社。原デザイン研究所設立に参加。2000年、東京世田谷に、ロングライフデザインをテーマとしたストア「D&DEPARTMENT」を開始。’02年より「60VISION」(ロクマルビジョン)を発案し、60年代の廃番商品をリ・ブランディングするプロジェクトを進行中。’03年度グッドデザイン賞川崎和男審査委員長特別賞を受賞。日本のデザインを正しく購入できるストアインフラをイメージした「NIPPON PROJECT」を47都道府県に展開中。’09年より旅行文化誌『d design travel』を刊行。日本初の47都道府県をテーマとしたデザインミュージアム「d47 museum」館長。’13年毎日デザイン賞受賞。武蔵野美術大学客員教授。京都造形大学教授。
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野村友里 / フードディレクター
フードクリエイティブチーム「eatrip」主宰

長年おもてなし教室を開いていた母の影響で料理の道へ。母からゆずり受けた、日本の四季折々を表す料理やしつらえ、客人をもてなす心、をベースに食を通じて様々な角度から人や場所、ものを繋げ、広げている。主な活動として、レセプションパーティなどのケータリングフードの演出や、雑誌の連載、ラジオ番組等。それらを通して食の可能性を多岐に渡って表現し、その愉しさを伝える。2011年には、「シェ・パニース」のシェフたちとともに、「生産者」「料理人」「消費者」をつなぐ参加型の食とアートのイベント“OPEN harvest”を開催。その経験を経て日本のシェフたちとともに、その土地土地の風土や文化を、食を通じて身体に取り込んでいくことをコンセプトに“nomadic kitchen”プロジェクトを始めた。2012年東京原宿にて、豊かな緑と光と風に恵まれた「restaurant eatrip」をオープン。生産者、野生、旬を尊重し、料理を通じて今後も食のもつ力、豊かさ、美味しさを伝えられたら、と活動を続ける。初の監督作品となる食のドキュメンタリー映画『eatrip』は2009年公開、現在はDVD化され販売中。著書に『eatlip gift』(マガジンハウス)がある。
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ルーカスB.B.
クリエイティブディレクター/編集人

アメリカ生まれ。カリフォルニア大学卒業後、来日。(有)ニーハイメディア・ジャパン代表取締役として、トラベル誌『PAPERSKY』やファミリー誌『mammoth』を発行しながら、ウェブサイトやイベントプロデュースなどもおこなっている。これまでに手がけた雑誌に『TOKION』『metro min.』『PLANTD』などがある。2014年にはNTTドコモのアプリメディア『japan jikkan』を創刊。また、ファミリー向け野外フェスティバル「mammoth pow-wow」や日本再発見の旅プロジェクト「PAPERSKY tour de Nippon」のイベントプロデュース等、幅広く活動している。
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相馬夕輝
D&DEPARTMENT PROJECT代表取締役社長

1980年、滋賀県出身。D&DEPARTMENT PROJECT代表取締役社長。2003年同社に入社。「ロングライフデザイン」をテーマに地域らしさを見直し、これからのデザインのあり方を探るベースとして47都道府県に展開するショップ「D&DEPARTMENT」の大阪店、東京店の店長を経て、2009年から代表取締役社長に就任。そのほか、デザインの視点で日本を紹介するガイドブック「d design travel」の発行など、幅広いデザイン活動を行う。
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中原慎一郎
ランドスケーププロダクツ代表

1971年、鹿児島県生まれ。オリジナル家具等を扱う「Playmountain」、カフェ「Tas Yard」、コーヒースタンド「BE A GOOD NEIGHBOR COFFEE KIOSK」、ギャラリースペース「CURATOR’S CUBE」、ヴェトナム麺食堂「Pho 321 Noodle bar」を展開。また住宅/店舗のデザイン業務、イベントプロデュース/ブランドディレクションを手がける。12月23日から東京国立近代美術館工芸館にて開催される「未来へつづく美生活展」において、工芸作品セレクト、インスタレーションに参加する。
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濱田英明
フォトグラファー

1977年、兵庫県淡路島生まれ。大阪在住。2012年9月、35歳でデザイナーからフリーのフォトグラファーに転身。2012年12月、写真集「Haru and Mina」を台湾で出版。「KINFOLK」(アメリカ)、「FRAME」(オランダ)や「THE BIG ISSUE TAIWAN」(台湾)などの海外雑誌ほか、国内でも雑誌、広告など幅広く活動中。2014年10月写真集「ハルとミナ」(Libro Arte刊)を出版。「瀬戸内国際芸術祭 小豆島 醤の郷+坂手港プロジェクト」公式フォトグラファー。

鞍田崇
哲学者

1970年、兵庫県生まれ。哲学者。総合地球環境学研究所を経て、明治大学理工学部准教授。暮らしのかたちという視点から、工芸・建築、デザイン・農業・民俗など様々なジャンルを手がかりに、現代社会の思想状況を問う。著作に『民藝のインティマシー 「いとおしさ」をデザインする』(明治大学出版会 2015)、『「生活工芸」の時代』(共著、新潮社 2014)、『ウォーキング・ウィズ・クラフト』(共著、松本クラフト推進協会2014)など他多数。
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MUSUBU SHIGA

「湖と、陸と、人々と。MUSUBU SHIGA」プロジェクトは滋賀県の魅力をより県外へ、世界へと発信しブランド力を高めていく為に発足されました。日本のほぼ真ん中に位置する滋賀県。古くから交通の要として機能し、人々の交流により育まれた自然・歴史・文化的資源が豊富に存在しています。多彩な魅力あふれる滋賀だからこそ、これまで培われてきたプロジェクトやブランドも数多く存在していますが、その情報発信もさまざまであり、統一した展開が難しく滋賀のもつ真の価値を皆様にお伝えしきれていないのが現状です。私たちは、そんな滋賀県のもつ魅力を集め再構築し、滋賀県全体の新しい価値として方向性を定め、”これから”を考え、発信しながら滋賀ブランドの強化を試みます。ブランディングディレクターには、graf代表・デザイナーの服部滋樹が就任。暮らしている人々が”これまで”培ってきた魅力を分野やフィールドを超えた国内外の新たな視点をもったデザイナーやアーティストとともに調査(リサーチ)・再発見し、出会ってきたモノを繋ぎ合わせて実践しながら、あたらしい滋賀県の価値をデザインし、そして滋賀の”これから”を皆様と考えていきたいと思います。本年は、このプロジェクトのコア要素となる、滋賀県の魅力ある”ヒト・コト・モノ”の調査(リサーチ)を中心に行い、こちらのプロジェクトサイトにて、その様子を映像や、写真を使いながら皆様にお伝えしていきます。滋賀県の人々と皆様を”むすぶ”、新しいプロジェクト、「湖と、陸と、人々と。MUSUBU SHIGA」はじまります。

石川亮
美術家・アートディレクター

自然観と宗教観を生活の中に取り込み、自然と対峙しながらも共存してきた日本人の感覚やそこで共有する観念に注目し、作品制作や研究の対象としてきた。2010年頃より近江の地における地域伝承や地名など様々な要因で名付けられた湧水を収集し作品制作したことが起点となり、滋賀県の湧水を調べ、その背景やルーツを探究している。水を介した暮しや、それが受け継がれ構築された文化に焦点を当てる。2015年、ビワパールまるごとブランディング事業に携わる。 成安造形大学芸術学部助教/地域連携推進センター ・附属近江学研究所研究員

市田恭子
デザイナー・職人集団『Team coccori』代表

滋賀県生まれ。
価値が見出されず倉庫等でひっそりと眠る“モノ”に新たな価値を付けて市場に出す。10数年前よりライフワークである障害福祉事業所と商品・店舗開発を実施。特にインナーブランディングに重きを置き、独自の目線で販売チャンネルを変えるなどの編集を施し流通に乗せる。現在は、店舗や地域のデレクションなど活動領域を拡げながら、滋賀のおもしろいコトを表現しモノに乗せる形づくりをしている。
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冨田泰伸
冨田酒造十五代蔵元 兼製造責任者

東京のメーカー勤務の後、フランスのワイナリー、スコットランドなどを巡り、それぞれの地域に根差した酒造りに感銘を受ける。2002年に実家である酒蔵に戻ると、地酒の「地」の部分に重きを置く事をコン セプトとし、地元の農家と提携し滋賀の米・水・環境で醸す本当の意味での地酒造りに専念する。伝統的な日本酒製法を大切にしつつ、スパークリング日本酒や日本酒のシェリー樽熟成など新しい取組もかかさない。冬は酒造り、夏は日本酒を広めるべく西へ東へ、現在11ヶ国へ輸出もしている。

久米勝智
アトリエ兼ショップ『COMMUNE』代表

服飾専門学校を卒業後、シャツメーカーやパターン制作会社を経て彦根でアトリエ兼ショップのCOMMUNEを開店。滋賀のアトリエでのシャツ作りを通して糸や生地の生産者、シャツの作り手、作り手が作ったものを手に取ってくれるお客さん、一枚のシャツに関わるすべての人が対等で親しく交われるような関係作りを大切にしている。”日常着”として良い意味で意識せず、COMMUNEのシャツを着てくれる。そんな着てくれる人に寄り添ったシャツ作りを目指している。

加藤駿介
NOTA&design /ヤマタツ陶業

1984年、滋賀県生まれ。1881年に信楽の地に創業した家業である老舗「ヤマタツ陶業」にて陶器のデザイン、制作に従事。新しい陶器ブランドの設立や企業とのコラボレーションを社内にて構築後、陶器を軸にしたライフスタイル全般のデザイン、制作業務を行なう「NOTA&design」を設立。今春には自身の工房に併設するカフェ&ギャラリーショップを展開予定。

左嵜謙祐
魚治湖里庵 七代治右衛門

大学卒業後、京都吉兆嵐山店にて料理修行し、2003年に実家である鮒寿し魚治に戻る。「歯車になれ」という先代からの言葉とともに代を受け継ぎ七代治右衛門になる。天明4年の創業より伝わる古典醸造の古式鮒寿しの作り方を守りながら、変化する食生活に合わせた鮒寿しの食べ方を料理店「湖里庵」にて鮒寿し懐石として提案している。